自分の子どもたちが10代になって、最近よく昔の自分を思い出します。今、子どもたちを見ながら思うのは、10代って、ものすごく可能性がある時間だったんだな。ということです。
もちろん、自分が10代だった頃にはそんなこと考えもしませんでした。将来何になりたいのかも分からない。どんな仕事をするのかも分からない。そもそもノストラダムスの大予言をけっこう本気で信じていて、
「未来なんてどうなるか分からない」くらいに考えていました。今だから10代の時間がどれだけ大切だったか分かります。でも、その真ん中にいる本人にはなかなか分からない。自分もそうでした。
中学生の頃は、勉強よりゲームだった
中学生の頃は帰宅部でした。学校が終わればゲームセンターへ行って、アーケードゲームやメダルゲーム。家に帰れば初代PlayStationやセガサターン。初代ポケモンにもハマりました。
ゲームの思い出はいくらでもあります。でも、家で勉強した記憶はあまりありません。塾には通っていました。だから、「塾に行っているんだから大丈夫だろう」と思っていました。
今考えると、ここで一つ大きな勘違いをしていました。塾へ行くことと、自分で勉強できることは別だった。当時の自分には、その違いが分かりませんでした。
高校に入って、自分で勉強できないことに気づいた
高校へ進学して、塾を辞めました。そこで困りました。自分で勉強する習慣がないんです。家に帰って机に向かう。分からないところを調べる。テストまでに何をやるか考える。
そういうことをほとんどやってきませんでした。だから少しずつ授業についていけなくなりました。分からないから、つまらない。つまらないから、勉強しない。勉強しないから、さらに分からなくなる。
今なら簡単に分かる悪循環です。でも当時は、「学校がつまらない」くらいにしか考えていませんでした。高校生活は途中からかなりしんどくなり、卒業もギリギリでした。
学校よりバイトの方が楽しかった
高校時代を振り返ると、学校よりアルバイトの思い出の方が濃く残っています。当時の時給は680円。100時間働けば68,000円です。携帯電話を維持したい。原付バイクにも乗りたい。遊ぶお金も欲しい。
そのために働いていました。高校生の自分には、働くことの結果がものすごく分かりやすかったんです。1時間働けば680円。10時間なら6,800円。100時間なら68,000円。
勉強を1時間やっても、財布の中のお金は増えません。でもアルバイトなら、その時間がお金になる。だから学校で勉強するより、アルバイトをしている方が意味があるように感じていました。
自分で稼いだお金なら、自分の好きなことに使える。当時の自分にとって、それが「自由」でした。
10代で本当に上げた方がよかったのは「価値時給」だった
40代になった今は、少し違う見方をしています。高校時代の自分は、目の前の時給680円を増やすことばかり考えていました。でも10代で本当に上げた方がよかったのは、
未来の自分の「価値時給」だったんじゃないか。
そう思うようになりました。ここでいう価値時給は、単純な給料の話ではありません。自分に何ができるのか。何を知っているのか。分からないことを自分で調べられるか。自分で考えられるか。人に伝えられるか。
一つのことを続けられるか。失敗しても、もう一度やれるか。そういうものを少しずつ増やしていくことです。勉強する。運動する。本を読む。資格に挑戦する。何か一つを続ける。人と話す。失敗する。
その時間は、すぐにはお金にならないかもしれません。だから10代の自分には価値が分かりませんでした。アルバイトを1時間すれば680円になる。勉強を1時間しても0円。
だから自分は、目の前の680円を選んでいました。でも20年、30年という時間で考えれば、まったく違います。時給680円で稼いだお金は、使えばなくなりました。
でも10代で身につけた知識や習慣は、その後も使い続けることができます。
10代という時間を、全部「今のお金」に交換してしまうのはもったいなかった。
今はそう思います。
当時の自分は、けっこうイキっていた
アルバイトをして、自分でお金を稼いでいる。それだけで少し大人になったような気がしていました。当時は不良を題材にした漫画も流行っていて、そういう世界に憧れる人もいました。
自分も今の言葉で言えば、かなりイキっていたと思います。大人の言うことを素直に聞くのが格好悪い。真面目に勉強するのも、どこか格好悪い。でも実際の自分には、何か特別な力があったわけではありません。
勉強しているわけでもない。運動に打ち込んでいるわけでもない。将来に向けて何かを積み上げているわけでもない。ただ、その瞬間が楽しければよかった。
誰だって楽な方へ行きたくなる
今なら少し分かります。誰だって、できれば楽な方へ行きたい。自分も今でもそうです。難しいことより簡単なこと。苦しいことより楽しいこと。できないことより、できること。そちらを選びたくなります。
だから10代の自分や、今の子どもたちに、「絶対に逃げるな」なんて言うつもりはありません。逃げた方がいい場所もあります。我慢して壊れるまで耐える必要もありません。ただ、自分の場合は少し違いました。
できないからやめる。分からないからやらない。面倒だから避ける。これを何度も繰り返していました。その場では楽になります。でも、逃げたはずの問題が消えたわけではありませんでした。
楽な方へ逃げた先には、長い遠回りがあった
勉強から逃げる。分からないことから逃げる。苦手なことから逃げる。そのときは楽でした。でも社会に出れば、また分からないことが出てきます。仕事でも。お金でも。人間関係でも。
結局、違う形で同じような壁に何度もぶつかりました。10代で避けたものを、20代、30代、そして40代になってから学び直している。そう考えると、ずいぶん長い道のりでした。
「あのとき少しだけ踏ん張っていたら、ここまで遠回りしなかったかもしれない」と思うことはあります。もちろん、遠回りしたから経験できたこともあります。今の自分を全部否定するつもりはありません。
でも、楽な道を選んだつもりが、結果として果てしなく長い道になってしまうこともある。これは自分の経験から感じています。
もう少し考え方を柔らかくできていたら
10代の自分は、かなり考え方が固かったと思います。学校がつまらない。だから学校が悪い。勉強が分からない。だから自分には向いていない。大人に何か言われる。だからうるさい。すぐに答えを決めていました。
今なら、「なんで分からないんだろう」「違うやり方ならできないかな」「この人が言っていることにも、何か理由があるのかもしれない」と、一度考えることができます。
もちろん40代になった今でも、毎回できるわけではありません。それでも少しだけ立ち止まれるようになりました。もし10代の頃に、もう少し考え方を柔らかくできていたら。違う未来もあったのかな。
そんなことは時々考えます。
高校で人生のすべてが決まるとは思わない。でも影響は大きい
高校卒業後、すぐに働き始めた頃の話は、「お金を稼げば自由になれると思っていた|高卒で入った工場で知った現実」に書いています。
中学校から高校へ進む。高校から大学や専門学校へ進む。あるいは働く。10代には、その後の人生に影響する選択がたくさんあります。だから、「高校なんてどこでも同じ」「学歴なんてまったく関係ない」
と自分は簡単には言えません。高卒で社会に出て、その違いを感じた場面は何度もありました。入る学校によって周りにいる人も変わる。その後に選べる進路も変わります。
でも、それですべてが決まるとも思っていません。自分自身、40代になった今も学び直しています。時間はかかります。かなり遠回りにもなります。それでも、変えられることはあります。
だからこそ10代で身につけてほしいのは、学歴そのものだけではなく、自分で学び続ける力です。これは学校を卒業しても使えます。仕事が変わっても使えます。40代になっても使えます。
今、自分が投資やAI、ブログについて勉強しているのも結局は同じです。自分は今になって、ようやくその習慣を作り直しています。
今の学び直しについては、「40代から学ぶことの大切さ|手書きと日記で行動につなげる」に書いています。
子どもたちを見ていると、少し羨ましくなる
今10代の子どもたちを見ていると、正直少し羨ましくなることがあります。これから勉強できる。運動もできる。いろいろな人に会える。失敗もできる。進路も選べる。まだ経験していないことが山ほどあります。
親から見れば、「ものすごく可能性があるのに」と思います。でも本人たちには、たぶん分からない。自分も分からなかったからです。だから、「勉強しろ」「将来のことを考えろ」
とだけ言っても伝わらないと思っています。自分が子どもたちに伝えたいのは、もっと単純なことです。
今の時給と、未来の価値時給。両方あっていい
アルバイトをすることが悪いとは思いません。自分で働いてお金を得る経験は大切です。お金を稼ぐ大変さも分かります。自分で稼いだお金を初めて使った喜びも覚えています。だから、
「10代は働かず、勉強だけしていればいい」とも思いません。ただ、
今の時給を稼ぐ時間と、未来の自分の価値時給を上げる時間。両方を持ってほしい。
これを子どもたちには伝えたいです。人生の目的なんて、10代で見つからなくてもいいと思います。自分なんて40代になった今でも考えています。やりたい仕事が決まっていなくてもいい。夢がなくてもいい。
でも、自分の可能性を自分から狭くしないでほしい。分からないからやめる。面倒だからやらない。一度失敗したから諦める。そうやって選択肢を一つずつ捨てていくと、あとで取り戻すのに時間がかかります。
自分がそうでした。
10代の自分にも、今の子どもたちにも伝えたい
もし昔の自分に会えても、「ゲームをやめろ」「アルバイトなんてするな」とは言いません。ゲームは楽しかった。原付も楽しかった。初めて自分で稼いだお金もうれしかった。それも自分の10代です。
ただ、一つだけ言います。
目の前の680円だけを見ない方がいいぞ。
時給680円で100時間働いて手に入れた68,000円は、使えばなくなりました。でも10代で身につけた勉強する習慣、考える力、体力、何かを続けた経験は、その後も残ります。楽な方へ行くのは簡単です。
でも、その先でとんでもなく長い遠回りをすることもあります。自分は、それに気づくまでかなり時間がかかりました。自由とは、好き勝手にできることだと思っていました。今は少し違います。
自分の価値時給を高めて、選べる道を増やしていく。その中から、自分で進む道を選べる。今の自分にとっては、それも自由の一つです。子どもたちには、自分と同じ人生を歩いてほしいわけではありません。
自分ができなかったことを、代わりにやってほしいわけでもありません。ただ、自分より少しだけ早く、そのことに気づいてくれたら。それだけでいいと思っています。
高校を卒業したあとも、しばらく自分は目の前のお金ばかり見ていました。次の話は、「遊ぶお金さえあればよかった|何も残っていない自分に気づいて就職活動を始めた話」へ続きます。
