前回、車種名すら知らなかった自分が、21歳頃にカー用品店で働き始めた話を書きました。
何も分からなかった自分を助けてくれた先輩たち。知らないことを一つずつ覚えて、少しずつ仕事ができるようになった約3年間。
今振り返ると、人間関係にもかなり恵まれていた職場だったと思います。
その中に、どうしても意識してしまう一人の友人がいました。ここでは友人Aとします。
同い年。昔から知っている友人。同じカー用品店で働いている。
でも、スタート地点は自分と全く違いました。
今振り返ると、自分とAはまるでウサギと亀だったなと思います。
同い年なのに、最初から全然違った
友人Aは18歳頃から別のカー用品店で働いていて、何より車が好きでした。
販売員だった自分から見ても、Aは優秀な販売員だったと思います。
話がうまい。お客さんとの距離を縮めるのがうまい。商品知識も豊富。
特にタイヤの説明は分かりやすく、お客さんから感謝されることもありました。Aを目当てに来るリピート客もいたくらいです。
これは自分にはなかなかできませんでした。
自分は商品を覚えるだけでも精いっぱい。Aは、その知識を相手に合わせて伝えるところまでできていました。
自分のお金で商品を買い、本当に使っていた
Aのすごいところは、知識だけではありませんでした。
給料を車の部品購入に使う。実際に自分の車につける。使ってみる。
そして、「これはこうだった」と自分の体験をもとにお客さんへ説明する。
販売員としてはかなり強いですよね。
カタログを読んで説明する人と、自分で買って使った人。説得力が違います。
自分には、なかなかできませんでした。給料をそこまで車に使う発想もなかった。
だからAは、自分では思いつかない方法で販売成績を上げていました。結果を出すから、周りの人も納得する。
今振り返っても、「もう一度、同じ土俵でAと販売勝負をするのは勘弁してほしい」と思うくらいです。
それくらい販売員としては、自分にはないものを持っていました。
一方の自分は、本当に何もできなかった
自分は正社員として入ったものの、車種名すらまともに分からない。
お客さんから質問されれば、すぐ先輩を呼ぶ。商品について聞かれても答えられない。
同い年なのに、仕事の能力はかなり離れていました。
立場だけを見れば、自分は正社員。友人Aはアルバイト。でも実際の現場では、完全に逆でした。
Aの方が仕事を知っている。Aの方が売れる。Aの方がお客さんから信頼される。Aの方が周りから頼られる。
そんな中、自分は実際に目の前で、「正社員なのに何もできない」「使えないやつ」というような言葉を言われたこともありました。
この「使えない」という言葉が、自分は今でも嫌いです。
仕事ができない時期なんて誰にでもあります。
今の自分なら、できない人に対して「使えない」で終わらせるのではなく、「どうすればできるようになるか」を一緒に考えたいです。上に立つなら、そこまでやりたいと思います。
でも21歳の自分に、そんなふうに考える余裕はありませんでした。
ただ、きつかった。そして、「絶対に見返してやる」という気持ちが残りました。
比べられるのが、本当に悔しかった
Aは仕事ができました。周りからも評価されていました。
そして当時の自分から見ると、A自身も「自分はできる」という自信を持っていたように見えました。
人から評価されたり、注目されたりすることも好きだったと思います。目立つことも嫌いではなかった。
一方の自分は何もできない。同い年で、昔から知っている友人だから余計に悔しかったです。
10歳上の先輩に負けるなら、「経験が違うから仕方ない」と思えます。
でも同い年。自分は正社員。それなのに、何をやってもAの方が上。
素直に、「すごいな」だけでは終われませんでした。
「絶対に追いついてやる」
そんな気持ちがかなりあったと思います。
今なら、「人と比べても仕方ない」と言えます。でも20代前半の自分には無理でした。
めちゃくちゃ比べていました。
自分は亀だった
Aのように最初から知識があったわけではありません。話術でも勝てない。車への情熱でも勝てない。
だから、自分にできることは限られていました。
覚えること。そして、人より多く接客して経験を積むこと。
特に最初の1年間は、がむしゃらでした。来店したお客さんを見つけたら、とにかく声をかける。
でも知識がないので、話しかけたところで質問に答えられないこともあります。
話の途中で詰まる。先輩を呼ぶ。横で説明を聞く。そして次は自分で答えられるように覚える。
その繰り返しでした。
知識がないなら、経験する回数を増やすしかない。当時はそんな感覚だったと思います。
分からなかった車種を覚える。商品の違いを覚える。タイヤを覚える。オイルを覚える。バッテリーを覚える。
接客を覚える。売上の見方を覚える。在庫や粗利を覚える。
一つ覚える。また分からないことが出てくる。また覚える。本当にそれだけでした。
Aみたいに、最初から速く走ることはできませんでした。だから今振り返ると、完全に亀だったと思います。
遅い。分からない。失敗する。先輩を呼ぶ。また覚える。
それでも、少しずつ前には進んでいました。
悔しさも、自分を動かす力になっていた
「人と比べるのは良くない」
今はそういう言葉をよく聞きます。確かに、比べすぎて自分を苦しめる必要はないと思います。
でも自分の場合、Aへの悔しさがなかったら、ここまで必死に覚えていたかは分かりません。
「またAに負けた」「自分も答えられるようになりたい」「自分だって売れるようになりたい」
そういう気持ちが、自分を動かしていました。
きれいな感情ではありません。嫉妬もあったと思います。
負けたくない。馬鹿にされたくない。認められたい。そんな気持ちです。
でも20代の自分にとっては、それも立派なエネルギーでした。
今なら、人と比べることが全部悪いわけではないと思います。
比べたあと、腐るのか。諦めるのか。それとも、「じゃあ自分もやってみよう」と思うのか。
自分の場合は、その悔しさを「覚える」「接客する」という行動に使えました。
Aを見て、続けることの難しさも知った
そんなAにも、当時の自分から見て一つ気になるところがありました。長く続けることです。
高校時代から、何かを始めても途中でやめてしまうところがありました。
カー用品店でも、最初は圧倒的にAの方が前を走っていました。
販売もできる。知識もある。お客さんからも評価される。周りからも注目される。
自分からすれば、本当にウサギです。
ただ、仕事を続けていると環境も変わります。
Aはタイヤをよく売っていました。一方で、この職場では売上だけでなく利益も求められました。
売っている。でも利益が残っていない。そういうことで注意されることもあったと記憶しています。
それまで評価されていたやり方が、思うように評価されなくなった。
その頃から、Aの仕事への向き合い方も少しずつ変わっていったように自分には見えました。そして最終的には職場を離れていきました。
一方、自分はまだ残っていました。
最初はAの方が圧倒的に前。自分はかなり後ろ。
でも自分は相変わらず、分からない。覚える。接客する。失敗する。また覚える。それを続けていました。
この経験から、自分は「ウサギと亀」を考えるようになりました。
本当は、休まないウサギが一番強い
ここは昔話とは少し違う考え方をしています。
自分は、亀の方がウサギより強いとは思っていません。むしろ逆です。
速く走れる人が、そのまま休まず走り続けられるなら、それが一番強い。
仕事でもそうです。覚えるのが速い。行動も速い。人より結果を出せる。
その人が努力まで続けたら、本当に強いと思います。
ゴールまでの距離が長くなればなるほど、速く走り続けられる人には、なかなか追いつけません。
だから自分だって、本当はウサギになりたいです。
Aのような販売力があって、そこに長く続ける力まであったら。たぶん自分には簡単には追いつけなかったと思います。
今でも、そういう人を見ると尊敬します。
でも、自分が亀だと知ることはできる
ただ、人間はそんなにうまくできていません。
何でも覚えるのが速いわけではない。いつもやる気があるわけでもない。得意なことばかりでもない。
自分には、Aのような販売力はありませんでした。
だからまず、自分は今、ウサギなのか亀なのかを知ること。そこからだと思います。
自分は亀だった。だったら、ウサギと同じ速さで走ろうとしても苦しくなるだけです。
でも、「自分は亀だから無理だ」で終わるのも違う。
自分が亀だと分かったなら、止まらず進むしかない。
昨日より一つ覚える。今日より一人多く接客する。できなかったことを、次はできるようにする。
そうやって少しずつ差を縮めていく。自分には、そのやり方が合っていました。
亀だから、いつか追いつけると思って進む
21歳の自分は、「自分は亀だから仕方ない」とは思っていませんでした。
むしろ、いつか追いついてやる。いつか抜いてやる。それくらいの気持ちでした。
結果としてAに勝ったかどうかは、今となってはどうでもいいです。販売力だけなら、今でもAの方が上だったと思います。
自分が遅いことを理由に止まらなかった。それは良かったと思っています。
ウサギと同じ速さでは走れない。だったら自分の速度で走り続ける。
差が縮まらない日もある。むしろ離される日もある。それでも進む。
自分にとっての「亀」は、そういう意味です。
最初にできないことは、そんなに恥ずかしいことではなかった
21歳の頃は、「できない自分」がすごく恥ずかしかったです。
周りはできる。自分はできない。Aは知っている。自分は知らない。
だから焦りました。「使えない」と言われれば、余計に焦ります。
でも40代になった今なら思います。最初に知らないのは普通です。初めてやるんだから、できなくて当然です。
「自分にはできない」と決めて、そのまま止まっていたら、仕事は覚えられなかったと思います。
昨日より一つ覚える。今日答えられなかったことを、次は答えられるようにする。一人でも多く接客する。それを続ける。
派手ではありません。でも、その積み重ねは思っている以上に大きいです。
Aがいたから、自分は頑張れた
当時はAの存在がかなり悔しかった。馬鹿にされたと感じたこともありました。比べられるのも嫌でした。
でも20年以上たった今振り返ると、考え方は少し変わります。
Aがいたから頑張れた部分も確実にありました。
もしAがいなかったら、「これくらいでいいか」と思っていたかもしれません。
目の前に、自分より詳しい。自分より売れる。自分より評価される。しかも同い年。そんな相手がいた。
だから、「自分もできるようになりたい」と思いました。
当時はライバルだと思っていました。でも今考えると、自分を成長させてくれた人の一人でもあったんですよね。
これも前回の記事で書いた、「一人では成長できなかった」という話につながります。
優しく助けてくれる人だけが、自分を成長させてくれるわけではありません。
悔しいと思わせる人。負けたくないと思わせる人。自分に足りないものを見せてくれる人。
そういう人との出会いも、自分を動かしてくれます。
人との出会いは、自分では選べないこともある
仕事をしていると、いろいろな人に出会います。
尊敬できる人。助けてくれる人。苦手な人。腹が立つ人。どうしても比べてしまう人。
当時の自分は、「いい人に出会うこと」だけが良い出会いだと思っていた気がします。
でも今は少し違います。
嫌だった人から学ぶこともある。悔しかった相手から学ぶこともある。
自分とは全く違う人を見ることで、「自分はどうしたいんだろう」と考えることもあります。
友人Aとの出会いは、自分にとってそんな出会いでした。
40代になっても、自分は亀だと思っている
今、自分は40代になってAIを勉強しています。ブログも書いています。投資も学んでいます。
周りを見れば、自分より詳しい人はいくらでもいます。
20代で起業する人。AIを自由自在に使う人。ブログで大きく稼ぐ人。投資で大きな資産を作った人。
本当は、自分もそんなウサギになれたらいいと思います。
速く覚えて。どんどん行動して。そのまま走り続ける。できるなら、それが一番いい。
でも今の自分は、たぶん亀です。それなら、それでいい。
昨日より一つ知る。一つ記事を書く。一つ試してみる。失敗したら、また覚える。止まらない。
ウサギになれるなら、ウサギになりたい。でも今の自分が亀なら、亀として走り続ける。
それが、自分には合っています。
自分が亀だと分かっていれば、まだ進める
友人Aと働いていた頃は、こんなことを考えていませんでした。
ただ悔しかった。負けたくなかった。追いつきたかった。それだけです。
でも40代になって振り返ると、あの悔しさも、比べたことも、うまくできなかったことも、全部今につながっています。
「亀の方が優れている」と思いたいわけではありません。
自分は今、亀なんだと分かること。そして、「だったら止まらず行こう」と思えること。
休まず走り続けるウサギがいるなら、その人は本当に強い。素直に尊敬すればいい。
でも、それを見て、「自分には無理だ」と止まってしまう必要はない。
遅くてもいい。今日できることをやる。
いつか追いつけるかもしれない。いつか追い越せるかもしれない。追いつけなくても、昨日の自分より前には進める。
自分にとっての「ウサギと亀」は、今ではそんな話になっています。
カー用品店で過ごした約3年間。人に助けてもらった。Aと比べた。悔しい思いもした。それでも、一つずつ仕事を覚えてきました。
今振り返ると、それが自分の仕事の土台の一つになっています。
でも3年目の後半になると、今度は「人」ではなく、会社の仕組みそのものに疑問を持つようになります。
客数が少ないのに求められる売上目標。歩合制。時間外のポスティング。
そして、「集客まで現場の仕事なのか?」という違和感。
仕事を覚えたからこそ、見えるようになったものもありました。
次は、カー用品店3年目に感じ始めた「会社の仕組みへの違和感」について書こうと思います。
