こんにちは、むぎまるです。
高校を出て働き始めたときは、お金を稼げば自由になれると思っていました。ところが最初に入った印刷工場は体への負担もあり退職。その後は派遣やアルバイトで働いていました。
この頃の私に必要だったのは、車を維持するお金と遊ぶお金。それさえあれば十分でした。
実家に住んでいたので、稼いだお金を使い切っても生活には困りません。先のことを考えなくても毎日は過ぎていきました。その暮らしに甘えていました。
気がつけば22歳。大学へ進んだ同い年の友人たちが社会に出る頃になって、ようやく自分の足元を見ました。
高校を出てからの4年間、私は何をしていたんだろう。人に話せるものが何も思い浮かばなかったんです。
働いてはいたけれど先のことは考えていなかった
工場を辞めた後に経験した派遣の仕事は、3か月で契約満了になりました。仕事が変われば人間関係も変わります。私がいた現場では時給の違いを理由に煙たがられることもあり、居心地のよい場所とは感じられませんでした。
それでも当時は、自分に何ができるようになるかより、今いくらもらえるかを気にしていました。遊ぶお金が足りればそれでいい。仕事をこの先どう続けるのかは後回しでした。
最初の工場を体の事情で辞めたことまで、間違いだったとは思っていません。ただ、辞めた後の私は次の暮らしを考えようとせず、その日が済めばいいと思っていました。
貯金もしていない。勉強もしていない。将来のために何かを始めてもいない。働いているというだけで、それ以上考えなくていいことにしていました。
好きなパチンコを仕事にしたら嫌いになった
20歳頃からパチンコにハマっていた私は、パチンコ店でアルバイトを始めました。好きな場所で働くなら続けられるだろう。そんな考えでした。
でも遊びに行く側と働く側では、まったく見えるものが違いました。
出玉が少ないことで苛立ったお客様から八つ当たりされる。接客に気を張り、職場の人間関係にも疲れる。楽しいと思っていた場所で、自分が楽しんでいる余裕はありませんでした。
来たときと帰るときで表情が変わっているお客様もいました。自分が遊んでいたときには考えなかった、お店としての仕事がそこにありました。
わずか3か月で、好きだったパチンコまで嫌になりました。好きなことなら仕事も楽しいはずだという私の考えは、あっさり崩れました。
好きなことを仕事にするには、生半可な覚悟では足りない。
少なくとも私には、楽しむ側から働く側になる覚悟がありませんでした。好きな部分だけを見て、嫌なことも引き受けるつもりで入ったわけではなかったんです。
憧れは憧れのままにしておけばよかった。当時は本当にそう思いました。
好きな仕事を続けている人を見て、好きだからできるんだろうと簡単に考えていました。その裏にある仕事を、自分は何も見ていませんでした。
大学を出る友人と比べて自分には何もなかった
22歳になると、大学へ行った同い年の友人たちが就職する時期になりました。
私は4年早く社会に出ています。それなのに、同じ仕事を4年間続けて何かを積み上げたわけではありません。貯金もない。これなら任せてほしいと言える仕事も思いつかない。
友人たちが次の生活を始める頃、私はシフトが減れば収入も減る暮らしをしていました。先に働き始めたことを少し誇らしく思っていた自分が、急に恥ずかしくなりました。
高卒だから何もないという話ではありません。私がその4年間をどう使ってきたかの話です。
当時の自分を振り返ると、つらいことから離れ、勉強を避け、遊ぶお金だけを欲しがっていました。将来困るかもしれないと考えることさえ面倒で、見ないようにしていたんだと思います。
遊ぶ金欲しさに、自分の未来を棒に振っていた。
そう思うくらい後悔しました。まだ若いから大丈夫と済ませられる気分ではありませんでした。4年間もあったのに、自分は何を残したんだろう。その問いに答えられませんでした。
このままの生活を続けたくない。ここから巻き返すには、もう一度就職するしかない。そう思って仕事を探し始めました。
今度の就職活動は学校がやってくれなかった
高校のときの就職活動は、学校がいろいろと手伝ってくれました。今思うと、その助けがどれほど大きかったかも分かっていませんでした。
今度は自分で仕事を探して、自分で応募しなければなりません。誰かが次の応募先を用意してくれるわけではありませんでした。
やり直したいと思って応募しても、採用してもらえるとは限りません。何社も落ちました。
働きたいという気持ちはあります。でも、その気持ちだけでは伝わらない。自分が何をしてきたのか、これから何をしたいのかを人に話す難しさを知りました。
先のことを考えずに過ごした時間が、ここでも返ってきたように感じました。自分のことなのに、うまく説明できない。それでも次を探して応募するしかありませんでした。
「私は練習に来たんだ」と思うようにした
何度も落ちていると、気持ちを切り替えないと続けられません。
その頃の私が自分に言っていたのが、この言葉です。
「私は練習に来たんだ。ここは本番ではない」
落ちたことがどうでもよかったわけではありません。本当は受かりたかったです。でも、これも練習だったと思えば次に行けました。
応募して、面接を受けて、うまくいかない。また考えて次を受ける。それを繰り返しているうちに、就職活動そのものに少しずつ慣れていきました。
失敗しすぎたせいか、面接が終わったときの手応えで何となく分かるような気もしてきました。今回は厳しそうだなと思ったら、合否の連絡を待つ間にも次へ気持ちを向けられました。
もちろん手応えだけで合否が分かるわけではありません。でも、結果が来るまで何もできずにいる時間は減ったと思います。
そのうち面接すら、少し楽しめるようになりました。次はどう話そうか。前より落ち着いて話せるだろうか。そう考える余裕が出てきたんです。
落ち続けていたのに、何も考えずに働いて遊んでいた頃より、自分で動いている感じがありました。
あの就職活動で少しだけ残ったもの
22歳で焦ったからといって、すぐに立派な人間になったわけではありません。ここで人生を全部立て直せた、とも言えません。
ただ、自分で探して応募し、落ちても次へ行く経験は残りました。何もなかったと思っていた自分にも、やってみたから分かったことができました。
考えて行動する。そしてたくさん失敗する。言葉にすると簡単ですが、当時は目の前の面接で精いっぱいでした。
今振り返ると、この時期の就職活動が私に動くことのメリットを教えてくれた気がします。家で考えているだけでは、面接の受け方も自分の話し方も分からなかったはずです。
高校を出てからの時間を取り戻すことはできません。それでも、何も残せなかったと悔やむだけの毎日からは変わり始めていました。
その後の仕事でも、私はまた失敗します。でも次の職場での話に進む前に、自分で仕事を探し続けたこの時期のことは残しておきたいと思いました。
高校時代から最初の工場勤務までの話は、「お金を稼げば自由になれると思っていた」に書いています。

