高校を卒業してからしばらく、私は“自由”を手に入れたと思っていました。
朝は好きな時間に起きて、気が向けば働き、休みたければ休む。
お金が入れば使い切る。誰にも縛られず、誰にも文句を言われない。
──そう、あの頃の私は「自由」を勘違いしていたんです。
■ 「自由」と「楽」は、似て非なるもの
当時の私は、“楽に生きること”を“自由に生きること”だと思っていました。
働くのが嫌で、責任から逃げて、
「やりたくないことをやらない=自由」だと信じていたんです。
でも、実際にはその生活は“誰かに決められた不自由”ではなく、
“自分で何も決められない不自由”でした。
お金がなくなれば働くしかない。
働く場所も、シフトも、給料も、自分で選べない。
「自由なはずなのに、何も自由じゃない」と気づくまでに、時間がかかりました。
■ 逃げて手に入れた自由は、一瞬だけ心地いい
逃げて手に入れた自由は、確かに一瞬は軽くなります。
プレッシャーもなく、責任もなく、
「もう頑張らなくていいんだ」と思える瞬間。
でもその“軽さ”は、すぐに“空虚さ”に変わります。
何かを失ったわけでもないのに、心が満たされない。
目的もなく生きている自分に、どこかで罪悪感がある。
自由になったつもりで、
実は“現実から逃げているだけ”だったと、後から気づきました。
■ 成し遂げて掴んだ自由は、重いけれど確か
今の私は、ブログを書き、副業に挑戦し、
お金の知識を学びながら「自分の力で生きる」ことを目指しています。
正直に言えば、楽ではありません。
夜に疲れてもPCを開き、うまくいかない日もある。
でも、その時間こそが「自分で選んだ生き方」なんです。
誰かに言われたわけでも、逃げた結果でもなく、
“自分の意志で動いている”という実感があります。
それが、私にとっての「本当の自由」です。
■ “楽”は与えられるもの、“自由”は掴みにいくもの
「楽な生き方」は、誰かが作った道を歩くだけで手に入ります。
でも「自由な生き方」は、自分の足で道を切り開かなければ手に入りません。
逃げて得た自由は、誰かに依存している限り消えてしまう。
成し遂げて掴んだ自由は、誰にも奪われません。
“楽”は一時の安らぎ。
“自由”は、覚悟と努力の先にある未来。
その違いを知ってから、私は“楽”を捨て、“自由”を選びました。
■ まとめ
あの頃の私は、「自由」を“逃げ場”として使っていました。
でも今は、「自由」を“目的地”として追いかけています。
自由とは、逃げることではなく、
“自分で選び、責任を持って進むこと”。
それが、人生で一番大切な「自由の形」だと今は思います。
逃げて得た自由は、すぐに消える。
成し遂げて掴んだ自由は、誰にも奪われない。
